もしあなたが、「自分は社会不適合者かも・・・」と感じていても、心配は不要です。
なぜなら社会不適合者こそが生きやすい時代に向かっているからです。
日本における社会不適合とは何か?
例えば、僕が考える社会不適合者とは、次のような特徴に該当する人を指します。
・昼休みは一人で気楽にご飯を食べたいと思う
・社会のルールは間違いだらけだと感じる
・集団での飲み会が好きになれない
・流行を追いかける人をいつも一歩引いて見ている
・世間の常識に疑問を持つ機会が多い
・就活が滑稽に思える
・顧客にヘコヘコ頭を下げたくない
・毎朝決まった時間に出社する意味が分からない
・学歴に何の価値も感じない
・リタイア後を楽しみにするだけの人生はクソだ
・無駄な会議がバカバカしく感じる
・みんなと同じであることに価値を感じない
・役員との会議よりも目の前の顧客こそが大事だ
・通勤時間は人生のムダだと思う
・集団行動が嫌い
・用意されたレールの上は進みたくない
僕はこれらのほとんどが当てはまるのですが、あなたはどれぐらい当てはまりましたか?
日本に生まれて親元で育ちながら学校での義務教育を受け、社会へ出て働くという大人育成エスカレーターに乗せられている間に僕たちは様々な常識を植え付けられてしまいます。
そして多くの人は本来受け入れる必要の無いルールを目の前にした時に、「普通はこうだから」「社会人なら当たり前」と考えて思考停止状態のままに受け入れてしまうのです。
一方で、僕のような社会不適合者は社会のルールや常識に対して自然と順応できない性質があるので、「どうしてこのような意味のないルールに従う必要があるのだろうか?」と疑問を持つことになります。
良くも悪くも社会に馴染んでしまう人と社会不適合者の差が顕著に出るのは、学歴崇拝や結婚信仰、労働中心生活に対する反応ですね。
「学歴に何の意味があるのだろう?」
「なぜ結婚することが万人共通の幸せだと思われるのだろう?」
「働く為に生きるような生活スタイルは本末転倒だよな。」
価値観や生き方が多様化している今の時代において、未だに学歴・結婚・正社員が幸せになるための3種の神器と考えられがちなのはあまりにも時代錯誤でしょう。
勉強して良い大学に入れば良い企業に入れ、生涯安定した生活が手に入る。そんな時代はもう終わったのですから。
社会に適合できる人は、世間の常識に背くこと無く勉強や労働に打ち込んで、親や雇用主に対して従順な性質があります。
子供を育てる親や社員を雇う経営者、国民をまとめる政府等、管理する側の立場から考えると彼らは非常に管理しやすい人たちだと言えますね。
社会不適合者の人は管理者から押し付けられる社会のルールに対して疑問を持ち、今までそうやってきたからとか、これが常識だからとか、周りのみんなもそうしているからなんて理由だけでは受け入れません。
自分の価値観を大切にして、自分の感覚を信じます。
もちろん個人差はありますので、疑問を持ちながらもなかなか行動レベルにまでは落とし込めずに「社会に適合した人の仮面」を被って日々の生活を送られている人も多いことでしょう。
少なくともつい最近までは「社会に適合した人の仮面」を被ることが、社会で上手く生き抜く為の有効な手段だったのですから。
凡人が生き抜く為に必須だった適合性はもう要らない
昭和の時代までは、勉強を頑張って良い大学へ入り、大企業で定年まで勤め上げた後は貯金に加えて退職金と年金を受け取りながらリタイア生活を送るのが成功のロールモデルでした。
これはかつて日本経済全体が成長拡大を続け、人口ピラミッドのバランスも優れていたこと、そして全員で豊かになることを目指せた時代だからこそ成立していたという背景があります。
日本経済の成長が停滞している今では大企業であっても存続のハードルは高まっているし、経営者の下にいる管理職と部下の構成比率も、止まることのない少子化によってバランスが崩れているのが現状です。
一昔前なら長年勤め上げるだけで自然と昇進し、管理職になって給料を増えるのが普通だったのかもしれません。
しかし、今では管理職のポストが埋まってしまい、現場で働く部下は常に人材不足といった具合に、かつてのロールモデルの前提条件が崩れてしまったのです。
つまり、親から受ける教育や学校教育による洗脳をそのままにしておくと、これからの時代にそぐわない生き方が身についてしまうんですね。
そして、衣食住に命を脅かすレベルで困る状況になる人がほとんど存在しないぐらいに経済発展を遂げた日本では、モノが溢れ、飽食になり、これ以上物質的に何かを得たところで幸福度は上がらない状況です。
それなのに、資本主義経済の元では人々が現状に満足しない為の様々な仕掛けによって、みんなが「もっと、もっと」と永遠に新たなものを手に入れて幸せになろうとしています。
物質的不足が無い以上はそんなことをしても幸せにはなれないんですけどね。
日本人は既にマズローの欲求5段階説で言うところの高次の欲求を満たすフェーズにいるので、衣食住のような外的要因による欲求は満たされているはず。
尊厳欲求や自己実現欲求、つまり内的要因によって満たされないものがあるからこそ現状に満足していない状態なのではないでしょうか。
だから、僕は幸せになることを「やりたいことを好きなだけ出来る自由度の高い人生の実現」と考えています。
一方で、”社会”は今も尚、資本主義経済による物質的な豊かさを良しとして、僕たち国民にも「もっと、もっと」を強いてきますよね。
そんな旧社会へ僕たちはもはや、無理して適合する必要はないのです。